2012年1月26日木曜日

冬を感じる

寒いです。とっても寒いです。
ただいまの室温、8度を下まわっております。
まったく暖房器具がみあたらない我が部屋。とっても寒いのです…。

唯一、熱源となっているのが、本来ならば熱を持つべき物ではないはずの愛機PC君でございます。こいつだけはこの寒い中、何故かファンを必死になって回して涼もうとしているのです…。

お前は百貫デブかっ!
と、独り言をつぶやいてしまうくらい寒い我が自室でございます。

今冬初!


寒い寒いとばかり言ってられません。
寒くても、動かねばならぬし、動けば腹が減るし、腹が減れば動いて食料を確保しなければなりませぬ。だまって寒い寒いと縮こまってても腹はふくれません…。
しかし、体調不良に寒さが重なり、脳は行動を指示するのですが、身体はそれを受理しません…。頑なに拒み、そして夕方になってしまったのです。夕方になると更に寒く、全く動く気が起きません。
そんなダメダメの私に一筋の光明をもたらす人物が登場っ!
はい、縁があるのかないのかわからぬ、必要な時には逃げ、いらぬ時にはしつこく付きまとう知人様。今日はとっても良いタイミングで登場です。なんとなく今年は良い年になりそうな予感がしないでもないでもない…。

その知人がビニール袋一つを置いて帰りました。
その中身が










そう、肉まんのようにみえる白い物体と、今川焼きのようにみえる茶色い物体です。
貰った時には、まだ微かにぬくもりがあり、それを口に入れればさぞかし美味しかろうとおもわせる香りまでまとっていました。
が、その時は訳あって口に出来ず、訳あってこの時間に食す事となりました。
電子レンジでちょっと温めて、本当は湯気が立つくらい温めたかったのですが、訳あってキッチンにながいはできません…。(察してください…)

そして今冬初の肉まんが今夜の夕食なのです。この23時になろうかという時間に夕食なのです…。

さらにガッツリと口にほうばった肉まん様の物体は肉まんではなく、フカヒレまんというコジャレタ私のような貧乏人には味覚センサーがないような味わいを持ったものであり、その後に口にした今川焼き様の物体も私が知るつぶあんのぎっしり入った今川焼きではなくて、今時の若者が好むようなカスタードクリームがつまった今川や起用の物体でしかなかったことに少したけ涙した今冬初物でございました。

でも、美味しかったです。

2012年1月24日火曜日

ミカン缶

とっても食欲不振…。
便秘が解消されたと思ったら、今度は節食停滞である…。

こんな場合でも、食事制限が祟るのである。

最低限のカロリー摂取しようと栄養補助食品を購入してくれば、摂取してはならない栄養分やミネラルが多量に含まれていたりする。これは致し方ない…。
仕方なく材料買って自炊しようと思ったけど、栄養不良のせいなのか眩暈がしてキッチンに立ってられるリミットは3分である。ウルトラマンの切羽詰まった気持ちが理解出来る強固の頃である。
栄養取るための行動が、栄養不良のために行えないという情けなさ…。

ああ、やはり結婚しておけば良かったなぁと、微妙に半生を反省したりしたり…。

缶詰


栄養不良の時、よく利用するのが缶詰である。
缶詰は調理しなくても簡単に食せるし、それなりに美味いし、賞味期限も長くて保尊も楽である。ちょっとスペース取るのが難点ではあるけど。値段が安いのも魅力。
保存食として常備しているのが、鯖缶と牛肉の大和煮と鰯の味噌煮缶などの惣菜系と、桃やミカンなどのフルーツ系である。

『レトルトの方が便利じゃないの?』
とよく言われるが、確かにレトルトは便利なのだが味の方面に違和感を持っていたりする。お粥とかカレーなどの定番レトルトは良いのだが、やはり惣菜系やフルーツ系の物はレトルトよりも缶詰の方が美味いと思っているのだ。これは個人的な味覚の問題なのだろうけど。
確かに缶詰は食した後、缶の処分が面倒である。面倒ではあるが、やはり缶詰が良いのである。

それで缶詰なのだが、その缶詰もちょっとだけ不満が出てきた。
最近の缶詰、世間様の流行なのか社会的嗜好の変化なのか、どうにも『低カロリー、低塩分、低糖分』と何でもかんでも薄く低くなっているのだ。どうにも味気ないし、物足りない…。

今回もこの低カロリー流行で困っているのだ。
食欲無くて栄養不足解消しようと、いつもの通りにミカン缶を食す事にした。
このミカン缶、私にとっては『病気の時、食べる物』と定義されている。口当たりが良いし、カロリーもそれなりに取れ、気分的ではあるがビタミンも摂取出来そうという身体にも心にも良いのである。気分的にではあるけど。

昔のミカン缶、110グラムの小さなやつでも200キロカロリーはあったのに、今のはごろもフーズの110グラムミカン缶はたったの79キロカロリーぐらいしかないのだ。これではいくら口当たりが良くて食欲不振でも食べれるとはいえ、最低摂取カロリーを維持するのには20缶ほど食さねばならない。もっともミカン缶だけでカロリー摂取するヤツなんていないだろうけど…。

私は今、必死になって昔のミカン缶を探している。近所のスーパー3軒は調べたが、どこもレトルトと低カロリー低糖分のミカン缶しか置いていなかった…。あの懐かしい、ドロッとした甘さのシロップにどっぷりと漬かったミカン缶が食べたいのだ。
ちょっと前になるが、親父殿の23回忌に親戚があげてくれたフルーツ籠の中にあった古いデザインのミカン缶を食べたのが妙に生々しく記憶に残っている。あの味をもう一度確認したいのだ。

そんな事を考えながら、今日もボソボソとミカンと桃のフルーツ缶を食べるのだ。

2012年1月22日日曜日

自分はビビリだと感じている。そう感じて、ちょっと落ち込んだりしている…。

病は気から


よく言われるが、これは一般的な人が言う分には支障ないのだが、私はちょっとばかり東洋医学を学んでしまったが故、深く忌みを考えすぎて使うのを躊躇ってしまう。

病は気からの【気】とは、気血の気であり、決して気分や気持ちの気ではない。
気血のうち、気が乱れて血脈を滞らせて病は発するという東洋医学的考えでいくと、やはり気脈を整えるためには身体各所の臓腑や経絡経穴を調整するしかない。決して、プラス思考にしたって病は治らないのだと…。

だけど、気持ちが落ち込むと病になりやすいって言うのは現代医学では実証されているらしい。
神経性とか冠がついている病気は腐るほどあるし、心療内科という新科目も世間に認知されている。
精神的な負担が原因で生じた病であっても、その原因となった精神負担を除去しただけでは完治しないだろう。器質的変化をともなう病変ならばなおさらである。精神負担は懸飲のトリガーであり、真の原因は他に存在するのだと。
そういうわけで、〔病は気から〕と言う言葉は正確ではあるが、〔気を正せば病無し〕とはならない。そう、不可逆的なのだ。

えぇっと、私は今、とっても気分がブルーでマイナーでセンチメンタルでダークサイドなのだ。
適当にマイナスワードを並べたが、これても言い表せない不安感を感じている。不安感というか、恐怖感というか…。

昨年、一大決心をして手術して、まるっとみごとに失敗した2回の手術。
その失敗しただけならば赦せるかもしれなかった手術の後遺症が徐々に現れ始めたのだ。
これは手術の後遺症と言い切ってしまうと執刀医に申し訳ないかもしれない。微妙に違うかもしれないが、誤解を覚悟で書き留める。

食い合わせみたいなもの
予期せぬ3コンボ炸裂
みたいな物なのだろう。

腹の傷は思ったよりも小さく消え、殻の中に残ったものも上手く邪魔せずにおさまってくれている。ただし、なんの効果も利益もない、ただの血管と腹膜が少しずれただけのものとなった。なんの障りもないので良しとする。この施術は『ある程度の危険性はありますが…』と説明されていただけに何事もなかったのでラッキーとさえ思える。失敗したけど…。
問題なのは手首の方である…。
何の下調べもせずに手術開始され、局所麻酔なので耳には執刀医の喋る声が近距離で聞こえてくる。元々、麻酔系が効きにくい体質なので、やはり痛みを我慢しながらの手術だった。その痛みをこらえる脳細胞を刺激する執刀医のぼやき…。
『なんだよぉー。細っせーなー、血管…。だめかもなぁ…。』
なんて事を必死になって脳フィルタフルパワーでこらえた2時間の手術だった。
まぁ、施術している間に失敗するって感じてたけど、やっぱり失敗だったわけだ。

それでも仕方がない。私の体質というか、構造上の問題なのだから。私の動脈が女性の半分しかないという特殊な例たったのだから、執刀医の責任ではない。誰も悪くない。悪いとすれば、私の身体を切経ミスした神様が悪いのだろう。そういう事にしておけば、誰も責めずにすむ。神も許されるだろう…。

で、もう諦めて、『残りの人生、動けるだけ動いて、死ぬ時はおとなしく土に還ろう…』と決心したわけだ。
決心した理由の一つは、私の病と腎臓病の末路を統合的に判断すると、『最後は意識朦朧となり、あまり苦しまないですむ』事がわかったからである。なにせ先例をしっかり私の目でみているのだから確かである。私の親父殿の最後は比較的に安らかだった。
そう思っていたからこそ、なにも気にせずに『競馬がどうの、アニメがつまらんだの』と戯けた事をブログに書いていられた。体調が悪くても、それほど痛いとか苦しいという事はなかったからでもあるが。
それが最近あらわれた症状がとっても質が悪いのだ…。

まず、利き手である左手が上手く使えなくなった。
これは切り開いた左手首の硬化によるものらしい。やはりなぜかしらぬが、左手首の傷だけが微妙にはっきりとしていて、しかも、血管が微妙に気持ち悪く浮き出ているのだ…。見た目も悪いが、機能的に言う事を聞いてくれないのが困る…。茶碗ぐらいのものならば大丈夫なのだが、それ以上の大きさの物を持とうとするとするっと手から抜け落ちてしまうような変な感覚なのだ。

医師の説明によると、
『橈骨動脈にバイパスをつけた部分が肥大化して手根管症候群のような症状を示しているかもね…。まぁ、時々あります。大丈夫です、はい。』

大丈夫じゃねぇーよっ!

次に現われたのが痛みと痺れである。これが不思議な事に、左手だけではなく、左右の両手に現われた。この痛みが困るのだ…。
夜、眠っていると激痛で目が覚める。いや、正確に言うと目が覚めてはいない。睡眠薬で寝ているので、半覚醒状態となり、夢遊病のような行動を取ってしまうらしいのだ…。
朝起きると、何故か枕元に痛み止めのケースと、鎮痛クリームが放置されている。そして手はベトベトと鎮痛クリームが塗られているのだ…。そして必ず家族に怒られる。夜中にキッチンで私がゴトゴトと何かをやっているらしいのだ…。
これには精神的にもまいっている…。記憶にない事を責められたりするのだ。

そういうこともあり、この原因を調べた所、左右の上腕動脈が肥厚しているという結果となった。原因は、そう、私の持病の服用薬と腎臓機能を守るための薬のノ見合わせが悪かったのかもしれないという微妙に確定出来ない原因なのだ。

原因がわかってしまうと困る事もあるよね、社会にはさ…。

とりあえず、その流れの悪くなっている末梢動脈をひろげるためのカテーテルをやるらしい。

いまはそれが怖くて怖くて…。

いま、精神的に負荷がかかって、もの凄い便秘中…。
もうどうにでもしてと開き直れない気弱な今日この頃です。

2012年1月16日月曜日

無意日

せっかくの日曜日だというのに、全く何もしなかった。
何もしなかったというのは間違いかもしれない。ずっと動画見てた。

夏目友人帳を2期分、連続で見てしまった…。

グウタラもここまで来ると自慢出来そうな気もする。
今月、ちょっとたけ身体改造の予定があるので、不安が少しずつではあるが積み重なっているような変な感覚なのだ。
また、改造手術に向けて体調を整えている期間てもあるので、ちょっと面倒くさい…。
そんなわけで、ストレスたまりまくり…。

無意日

今日の行動

朝、7時起床
煙草を一服した後、きおくがない

2012年1月14日土曜日

13と金

今日は、13日の金曜日。日本では気にしなくて良い。
だって、日本では13は忌み数ではないから。

でも、気にする人は気にするようで…。
私もちょっとだけ気にし始めたりして…。

ヤツが帰ってきた…


しばらく静かな日が続いていた。
耳障りな周波数帯の音が消え、横になっていても頭に振動が響くような事もなかった。悲鳴でドキッとして耳をすませる事もなかった。苛々して床に踵落としを喰らわせて、踵に鈍痛を感じるような事もなかったのだが…。

ガキンチョが戻ってきやがった…。

下階の家族には不思議な行動がみられるのだ。
毎月ではないが、10日前後になると気配が消えるのだ。8日くらいから12日くらいまで、毎月ではないが気配を消しているのだ。
いつもならば16時ぐらいからガキンチョが走りまわり、20時ぐらいには悲鳴と怒号と壁を叩きまくる音が毎日のように23時過ぎまで続くのだが、その気配が消えている間だけは、足音も壁を叩く音もドアを開ける音も全くしないのだ。

そして今月、年末に深夜に大騒ぎして注意を受けたらしいという噂が流れた後、1週間ほど全く気配がなかったのだ。気配がなかったというか、多分、本当にいなかったのではないだろうか。
それはとても静かな夜を過ごす事が出来た。全く耳栓も必要としなかったし、普通に横になっていられた。

ああ、昨日までの静かさが懐かしい…。

いま、ジェイソンがあらわれてチェーンソーを振り回しながら暴れたとしても、私は全く動じないだろう。
チェーンソーのリズムのある音の方が、全くリズム感も感じられないドタドタガキンチョ太鼓よりはマシだから。
なんとも不愉快な夜である。2012年の1の月、13日の金曜日、記憶にとどめておく。

2012年1月11日水曜日

シュレーディンガーの猫

さて、観測者の問題はさておいて、箱を開けるまでは死んでいて生きている状態なわけだ。
その猫の気持ちはわからないが、観測者の気持ちはわかる。

黒なのか?白なのか?

ギャンブルの確率計算はいくつもある。
競輪で言えば、1番から9番までの9選手が走行して、1着から3着でを選別し、その着順を順番に並べた数字が当たりである。だから、9×8×7=504通り分の1が当たり確率である。
だから11通りを購入した私の単純な的中確率は504分の11となるわけた。パーセンテージでいうと2.2%ぐらいだ。

でも、ギャンブルとして考えると、投票した車券の状態は、
当たり か ハズレ
のどちらかだ。そう、2分の1の確率で、“的中”となるわけだ。

そう、私の投票した車券は現在、
当たりでもあるしハズレでもある状態である。

観測者の私が競争結果という箱を開けるまでであるが…。

さて、箱を開けて猫が生きているか死んでいるか、しっかりと確認して…

 

 

 

       死んでました…。はい…。