2012年1月30日月曜日

はい

終了~、

手術する予定だったので、禁煙を試みていた。
体調を整えるという理由て始めたのだけれども、なんの効果もみられず、手術の延期と共にあっさりと終わったけど。

前より本数が増えたような気がする…。リバウンドってやつ?

あらためて『コーヒーと煙草は最高のコンビネーション』だと気がついた。
たまには禁煙のまねごとするのも良いものだ。別の禁煙効果を見つけられたから。


またPCを酷使して動画ばかりみている。
昔のブラウザに乗っかっているブックマークを掘り起しては、『ああ、懐かしいな…』と無感情な独り言をつぶやきながらマウスの左クリックを繰り返している。

まるで猿のように…。

このままこの道を進んでいくと、とっても取り返しのつかない場所へ行きそうな気がして不安である。

今、フルメタルパニックを視聴中。

しかも、“ふもっふ”…。

もう、駄目かもしれんね、俺…。

2012年1月28日土曜日

鶏・卵・鶏・卵・・・

簡単な手術だと言われていた。内容は理解しているつもりだが、何故にそれが必要なのかという所がいまいち得心いかなかったけど。
それでも現代医療の常というヤツで、なんらかの処置を行うのにもいちいちと手続きが必要になる。予約というやつだ。施術の予約をしたからには、『やっぱり納得いかないから…』と断わるわけにも行かないわけだ。そう言われていたので、モヤモヤした物を心に押し込めたまま術前検査に行ってきた。

採血とレントゲンと心電図。
検査は滞り無く終わって診察の時間。最後の説明と診察を受けるために待合所の冷たいベンチに座って待っていた。
「○○さぁ~ん!○○さぁ~ん!」と大声で急を告げるかのような切羽詰まった声で看護師さんに呼ばれた。なにか看護師さんの声が申し訳なさそうに聞こえてくる。行ったり来たりの話で良く意味が理解出来なかったのだが、要略すると検査結果が思ったよりも悪いのでもう一回採血検査してこいという事らしい。

それでもう一回、採血した。

それから1時間。検査結果が出るまで待った。
診察室に通されたが、なぜかケースワーカーの人と別の白衣の人がいた。
担当医が下を向きつつ、もごもごと何かを言った。「えっ?」と聞き返すタイミングで白衣を着た別の人が、
「検査結果から見ると、今の状態では施術後の合併症リスクが高すぎて手術出来ません…。もう少し数値が回復するまで様子を見ると言う事で…。(なんたらかんたら・・・)」

要するにだ。体調が悪すぎて手術した後に悪くなる可能性があるから手術出来ませんということらしい。そして放置しておいて調子が良くなったら手術して調子が悪いのを直しましょうと…。

調子を取り戻すための手術が調子が悪いから出来ず、調子が良くなったら調子をもどすための手術をするという、どうにも私のようなお馬鹿には理解出来ない結果となった。
脇の下をちょっと切り開いてカテーテルを入れるとか言っていたはずなのだけど、そのちょっとの脇の下の傷が悪化するぐらいの体調の悪さなのだろうか…。
それに『様子を見る』と言われたけど、放置しておいて戻る調子ならばとっくに戻っているはずである。というより、ここ2ヶ月では今が一番調子がよいのだけど…。自覚的には…。


というわけで、すっかりと予定が無くなりました。
まぁ、冷蔵庫を買わされてふてくされていたし、懐も寂しかったのでちょうど良かったと自分を納得させてから、昨日録画したブラタモリを見た。

何となく、ほっとしている自分を発見して妙に得心した。

2012年1月27日金曜日

ブツ

ヤツが来た。来てしまった…。

そして、金が消えた…。

発端は寝不足なのだ。寝不足というか、不眠症の治療というか、睡眠導入剤のせいというか、まぁ、とにかく私の行動が原因なのは確かである。
夜中、寝ぼけた私が冷蔵庫を開けっ放しにしてしまった事により、冷蔵庫に負担がかかってしまったようで、昨日、逝去なされた。14年物の超ロートル冷蔵庫さんだった。

その冷蔵庫の買い換えで昨日は大もめしたのだ。そして2:1の男女比により、民主的な多数決により私画素の冷蔵庫の代金を支払う事に決定した。私は猛烈に反対し、断固拒否しようとしたのだが、その抵抗は牟田に終わってしまった。そして今日の昼、その冷蔵庫が届けられ、設置されると同時に、私が3月になったら型落ちになったPCを買おうと決心して貯めていた『Windows7化計画資金』が消え去ってしまったと言うわけだ。

冷蔵庫ってさ、結構高いんだね…?
買った当日すぐに配送設置って、サービス良すぎない?
いやそれより現物置いてあるって事にびっくりしたよ
人の金だと決断の早い我家の家族にも驚きだよ…


女共は使いもしない機能に反応して喜んでいた。しかし、食事制限キュウキュウの私からすれば、
『その日に使う分はその日に購入すればいいじゃないか…』
と思うのだが、『ビタミンを壊さない野菜保存』とか、『肉汁を出さない解凍スペース』とか、『急速新鮮凍結』なんていう無駄な機能なんて冷蔵庫に必要なのかと思ってしまう。そんな人里離れた場所に住んでいるわけでもなし、目の前にスーパーがあるというのに…。

とりあえず冷蔵庫さんが新しい仲間になり、諭吉さん8名近くが行方不明となってしまった。
これは現実であり、避けがたい困難である…。

手持ちの残金がとても切ない状況になっているのは言うまでもない…。

2012年1月26日木曜日

冬を感じる

寒いです。とっても寒いです。
ただいまの室温、8度を下まわっております。
まったく暖房器具がみあたらない我が部屋。とっても寒いのです…。

唯一、熱源となっているのが、本来ならば熱を持つべき物ではないはずの愛機PC君でございます。こいつだけはこの寒い中、何故かファンを必死になって回して涼もうとしているのです…。

お前は百貫デブかっ!
と、独り言をつぶやいてしまうくらい寒い我が自室でございます。

今冬初!


寒い寒いとばかり言ってられません。
寒くても、動かねばならぬし、動けば腹が減るし、腹が減れば動いて食料を確保しなければなりませぬ。だまって寒い寒いと縮こまってても腹はふくれません…。
しかし、体調不良に寒さが重なり、脳は行動を指示するのですが、身体はそれを受理しません…。頑なに拒み、そして夕方になってしまったのです。夕方になると更に寒く、全く動く気が起きません。
そんなダメダメの私に一筋の光明をもたらす人物が登場っ!
はい、縁があるのかないのかわからぬ、必要な時には逃げ、いらぬ時にはしつこく付きまとう知人様。今日はとっても良いタイミングで登場です。なんとなく今年は良い年になりそうな予感がしないでもないでもない…。

その知人がビニール袋一つを置いて帰りました。
その中身が










そう、肉まんのようにみえる白い物体と、今川焼きのようにみえる茶色い物体です。
貰った時には、まだ微かにぬくもりがあり、それを口に入れればさぞかし美味しかろうとおもわせる香りまでまとっていました。
が、その時は訳あって口に出来ず、訳あってこの時間に食す事となりました。
電子レンジでちょっと温めて、本当は湯気が立つくらい温めたかったのですが、訳あってキッチンにながいはできません…。(察してください…)

そして今冬初の肉まんが今夜の夕食なのです。この23時になろうかという時間に夕食なのです…。

さらにガッツリと口にほうばった肉まん様の物体は肉まんではなく、フカヒレまんというコジャレタ私のような貧乏人には味覚センサーがないような味わいを持ったものであり、その後に口にした今川焼き様の物体も私が知るつぶあんのぎっしり入った今川焼きではなくて、今時の若者が好むようなカスタードクリームがつまった今川や起用の物体でしかなかったことに少したけ涙した今冬初物でございました。

でも、美味しかったです。

2012年1月24日火曜日

ミカン缶

とっても食欲不振…。
便秘が解消されたと思ったら、今度は節食停滞である…。

こんな場合でも、食事制限が祟るのである。

最低限のカロリー摂取しようと栄養補助食品を購入してくれば、摂取してはならない栄養分やミネラルが多量に含まれていたりする。これは致し方ない…。
仕方なく材料買って自炊しようと思ったけど、栄養不良のせいなのか眩暈がしてキッチンに立ってられるリミットは3分である。ウルトラマンの切羽詰まった気持ちが理解出来る強固の頃である。
栄養取るための行動が、栄養不良のために行えないという情けなさ…。

ああ、やはり結婚しておけば良かったなぁと、微妙に半生を反省したりしたり…。

缶詰


栄養不良の時、よく利用するのが缶詰である。
缶詰は調理しなくても簡単に食せるし、それなりに美味いし、賞味期限も長くて保尊も楽である。ちょっとスペース取るのが難点ではあるけど。値段が安いのも魅力。
保存食として常備しているのが、鯖缶と牛肉の大和煮と鰯の味噌煮缶などの惣菜系と、桃やミカンなどのフルーツ系である。

『レトルトの方が便利じゃないの?』
とよく言われるが、確かにレトルトは便利なのだが味の方面に違和感を持っていたりする。お粥とかカレーなどの定番レトルトは良いのだが、やはり惣菜系やフルーツ系の物はレトルトよりも缶詰の方が美味いと思っているのだ。これは個人的な味覚の問題なのだろうけど。
確かに缶詰は食した後、缶の処分が面倒である。面倒ではあるが、やはり缶詰が良いのである。

それで缶詰なのだが、その缶詰もちょっとだけ不満が出てきた。
最近の缶詰、世間様の流行なのか社会的嗜好の変化なのか、どうにも『低カロリー、低塩分、低糖分』と何でもかんでも薄く低くなっているのだ。どうにも味気ないし、物足りない…。

今回もこの低カロリー流行で困っているのだ。
食欲無くて栄養不足解消しようと、いつもの通りにミカン缶を食す事にした。
このミカン缶、私にとっては『病気の時、食べる物』と定義されている。口当たりが良いし、カロリーもそれなりに取れ、気分的ではあるがビタミンも摂取出来そうという身体にも心にも良いのである。気分的にではあるけど。

昔のミカン缶、110グラムの小さなやつでも200キロカロリーはあったのに、今のはごろもフーズの110グラムミカン缶はたったの79キロカロリーぐらいしかないのだ。これではいくら口当たりが良くて食欲不振でも食べれるとはいえ、最低摂取カロリーを維持するのには20缶ほど食さねばならない。もっともミカン缶だけでカロリー摂取するヤツなんていないだろうけど…。

私は今、必死になって昔のミカン缶を探している。近所のスーパー3軒は調べたが、どこもレトルトと低カロリー低糖分のミカン缶しか置いていなかった…。あの懐かしい、ドロッとした甘さのシロップにどっぷりと漬かったミカン缶が食べたいのだ。
ちょっと前になるが、親父殿の23回忌に親戚があげてくれたフルーツ籠の中にあった古いデザインのミカン缶を食べたのが妙に生々しく記憶に残っている。あの味をもう一度確認したいのだ。

そんな事を考えながら、今日もボソボソとミカンと桃のフルーツ缶を食べるのだ。

2012年1月22日日曜日

自分はビビリだと感じている。そう感じて、ちょっと落ち込んだりしている…。

病は気から


よく言われるが、これは一般的な人が言う分には支障ないのだが、私はちょっとばかり東洋医学を学んでしまったが故、深く忌みを考えすぎて使うのを躊躇ってしまう。

病は気からの【気】とは、気血の気であり、決して気分や気持ちの気ではない。
気血のうち、気が乱れて血脈を滞らせて病は発するという東洋医学的考えでいくと、やはり気脈を整えるためには身体各所の臓腑や経絡経穴を調整するしかない。決して、プラス思考にしたって病は治らないのだと…。

だけど、気持ちが落ち込むと病になりやすいって言うのは現代医学では実証されているらしい。
神経性とか冠がついている病気は腐るほどあるし、心療内科という新科目も世間に認知されている。
精神的な負担が原因で生じた病であっても、その原因となった精神負担を除去しただけでは完治しないだろう。器質的変化をともなう病変ならばなおさらである。精神負担は懸飲のトリガーであり、真の原因は他に存在するのだと。
そういうわけで、〔病は気から〕と言う言葉は正確ではあるが、〔気を正せば病無し〕とはならない。そう、不可逆的なのだ。

えぇっと、私は今、とっても気分がブルーでマイナーでセンチメンタルでダークサイドなのだ。
適当にマイナスワードを並べたが、これても言い表せない不安感を感じている。不安感というか、恐怖感というか…。

昨年、一大決心をして手術して、まるっとみごとに失敗した2回の手術。
その失敗しただけならば赦せるかもしれなかった手術の後遺症が徐々に現れ始めたのだ。
これは手術の後遺症と言い切ってしまうと執刀医に申し訳ないかもしれない。微妙に違うかもしれないが、誤解を覚悟で書き留める。

食い合わせみたいなもの
予期せぬ3コンボ炸裂
みたいな物なのだろう。

腹の傷は思ったよりも小さく消え、殻の中に残ったものも上手く邪魔せずにおさまってくれている。ただし、なんの効果も利益もない、ただの血管と腹膜が少しずれただけのものとなった。なんの障りもないので良しとする。この施術は『ある程度の危険性はありますが…』と説明されていただけに何事もなかったのでラッキーとさえ思える。失敗したけど…。
問題なのは手首の方である…。
何の下調べもせずに手術開始され、局所麻酔なので耳には執刀医の喋る声が近距離で聞こえてくる。元々、麻酔系が効きにくい体質なので、やはり痛みを我慢しながらの手術だった。その痛みをこらえる脳細胞を刺激する執刀医のぼやき…。
『なんだよぉー。細っせーなー、血管…。だめかもなぁ…。』
なんて事を必死になって脳フィルタフルパワーでこらえた2時間の手術だった。
まぁ、施術している間に失敗するって感じてたけど、やっぱり失敗だったわけだ。

それでも仕方がない。私の体質というか、構造上の問題なのだから。私の動脈が女性の半分しかないという特殊な例たったのだから、執刀医の責任ではない。誰も悪くない。悪いとすれば、私の身体を切経ミスした神様が悪いのだろう。そういう事にしておけば、誰も責めずにすむ。神も許されるだろう…。

で、もう諦めて、『残りの人生、動けるだけ動いて、死ぬ時はおとなしく土に還ろう…』と決心したわけだ。
決心した理由の一つは、私の病と腎臓病の末路を統合的に判断すると、『最後は意識朦朧となり、あまり苦しまないですむ』事がわかったからである。なにせ先例をしっかり私の目でみているのだから確かである。私の親父殿の最後は比較的に安らかだった。
そう思っていたからこそ、なにも気にせずに『競馬がどうの、アニメがつまらんだの』と戯けた事をブログに書いていられた。体調が悪くても、それほど痛いとか苦しいという事はなかったからでもあるが。
それが最近あらわれた症状がとっても質が悪いのだ…。

まず、利き手である左手が上手く使えなくなった。
これは切り開いた左手首の硬化によるものらしい。やはりなぜかしらぬが、左手首の傷だけが微妙にはっきりとしていて、しかも、血管が微妙に気持ち悪く浮き出ているのだ…。見た目も悪いが、機能的に言う事を聞いてくれないのが困る…。茶碗ぐらいのものならば大丈夫なのだが、それ以上の大きさの物を持とうとするとするっと手から抜け落ちてしまうような変な感覚なのだ。

医師の説明によると、
『橈骨動脈にバイパスをつけた部分が肥大化して手根管症候群のような症状を示しているかもね…。まぁ、時々あります。大丈夫です、はい。』

大丈夫じゃねぇーよっ!

次に現われたのが痛みと痺れである。これが不思議な事に、左手だけではなく、左右の両手に現われた。この痛みが困るのだ…。
夜、眠っていると激痛で目が覚める。いや、正確に言うと目が覚めてはいない。睡眠薬で寝ているので、半覚醒状態となり、夢遊病のような行動を取ってしまうらしいのだ…。
朝起きると、何故か枕元に痛み止めのケースと、鎮痛クリームが放置されている。そして手はベトベトと鎮痛クリームが塗られているのだ…。そして必ず家族に怒られる。夜中にキッチンで私がゴトゴトと何かをやっているらしいのだ…。
これには精神的にもまいっている…。記憶にない事を責められたりするのだ。

そういうこともあり、この原因を調べた所、左右の上腕動脈が肥厚しているという結果となった。原因は、そう、私の持病の服用薬と腎臓機能を守るための薬のノ見合わせが悪かったのかもしれないという微妙に確定出来ない原因なのだ。

原因がわかってしまうと困る事もあるよね、社会にはさ…。

とりあえず、その流れの悪くなっている末梢動脈をひろげるためのカテーテルをやるらしい。

いまはそれが怖くて怖くて…。

いま、精神的に負荷がかかって、もの凄い便秘中…。
もうどうにでもしてと開き直れない気弱な今日この頃です。

2012年1月16日月曜日

無意日

せっかくの日曜日だというのに、全く何もしなかった。
何もしなかったというのは間違いかもしれない。ずっと動画見てた。

夏目友人帳を2期分、連続で見てしまった…。

グウタラもここまで来ると自慢出来そうな気もする。
今月、ちょっとたけ身体改造の予定があるので、不安が少しずつではあるが積み重なっているような変な感覚なのだ。
また、改造手術に向けて体調を整えている期間てもあるので、ちょっと面倒くさい…。
そんなわけで、ストレスたまりまくり…。

無意日

今日の行動

朝、7時起床
煙草を一服した後、きおくがない

2012年1月14日土曜日

13と金

今日は、13日の金曜日。日本では気にしなくて良い。
だって、日本では13は忌み数ではないから。

でも、気にする人は気にするようで…。
私もちょっとだけ気にし始めたりして…。

ヤツが帰ってきた…


しばらく静かな日が続いていた。
耳障りな周波数帯の音が消え、横になっていても頭に振動が響くような事もなかった。悲鳴でドキッとして耳をすませる事もなかった。苛々して床に踵落としを喰らわせて、踵に鈍痛を感じるような事もなかったのだが…。

ガキンチョが戻ってきやがった…。

下階の家族には不思議な行動がみられるのだ。
毎月ではないが、10日前後になると気配が消えるのだ。8日くらいから12日くらいまで、毎月ではないが気配を消しているのだ。
いつもならば16時ぐらいからガキンチョが走りまわり、20時ぐらいには悲鳴と怒号と壁を叩きまくる音が毎日のように23時過ぎまで続くのだが、その気配が消えている間だけは、足音も壁を叩く音もドアを開ける音も全くしないのだ。

そして今月、年末に深夜に大騒ぎして注意を受けたらしいという噂が流れた後、1週間ほど全く気配がなかったのだ。気配がなかったというか、多分、本当にいなかったのではないだろうか。
それはとても静かな夜を過ごす事が出来た。全く耳栓も必要としなかったし、普通に横になっていられた。

ああ、昨日までの静かさが懐かしい…。

いま、ジェイソンがあらわれてチェーンソーを振り回しながら暴れたとしても、私は全く動じないだろう。
チェーンソーのリズムのある音の方が、全くリズム感も感じられないドタドタガキンチョ太鼓よりはマシだから。
なんとも不愉快な夜である。2012年の1の月、13日の金曜日、記憶にとどめておく。

2012年1月11日水曜日

シュレーディンガーの猫

さて、観測者の問題はさておいて、箱を開けるまでは死んでいて生きている状態なわけだ。
その猫の気持ちはわからないが、観測者の気持ちはわかる。

黒なのか?白なのか?

ギャンブルの確率計算はいくつもある。
競輪で言えば、1番から9番までの9選手が走行して、1着から3着でを選別し、その着順を順番に並べた数字が当たりである。だから、9×8×7=504通り分の1が当たり確率である。
だから11通りを購入した私の単純な的中確率は504分の11となるわけた。パーセンテージでいうと2.2%ぐらいだ。

でも、ギャンブルとして考えると、投票した車券の状態は、
当たり か ハズレ
のどちらかだ。そう、2分の1の確率で、“的中”となるわけだ。

そう、私の投票した車券は現在、
当たりでもあるしハズレでもある状態である。

観測者の私が競争結果という箱を開けるまでであるが…。

さて、箱を開けて猫が生きているか死んでいるか、しっかりと確認して…

 

 

 

       死んでました…。はい…。

オヤジのくせに

『そんな年甲斐もない事して…。』
と、昔、親父殿がお袋殿によく言われたような気がする。
私の死んだ親父殿は、54歳という年齢で死去したが、あの人の人生は充実していたのではないかと思っている。子供である私が勝手に思っているだけなのかもしれないが。

親父殿は『フーテン』であった。
フーテンであって、精神疾患の瘋癲ではない。『フーテンの寅さん』のフーテンである。
祖母がよく言っていたのだが、『あんたのとうちゃんは、昔はフーテンでしょうもなかったんだよ。』と言う台詞だ。その頃、私は親父殿が他の友達の親とは違うとは全く思っていなかった。
しかし違ったのだ。それに気がついたのは、私が中学生になった時だった。

それまで親父殿が普通だと思っていたのは、近所に住んでいる幼なじみの親と比べても変わった所がなかったからなのだ。小学生までは学区が狭く、付き合う範囲も狭かったため、比較対象が限定されていたのだ。中学生になると、隣の学区とも付合いが出来、比較対象が多くなった。
そして気がついたのだ。

私の親父殿はフーテンなのだ。私の親父殿だけじゃなく、私の幼なじみの親も同じくフーテンの一種なのだと…。

日曜日になると、時々親父殿が連れていってくれた静岡や小田原への小旅行は競輪場へ行くたもの言い訳だった事や、正月になるとお年玉をかけてやった親戚一同そろっての花札大会や、事あるたびに巻き起こる親戚一同まきこんでの大げんかなども親父殿や叔父が『フーテン』だったからである。それが『普通の日常』であると思いこんでしまっていたのは、廻り全てがフーテンだったからなのである…。

そんな中学生の頃に怒ったカルチャーショックを思い出してしまったのは、自分の姿を顧みたからである。
そう、今、私は『しょうもないフーテン』なのである…。
更に言うと、親父殿や叔父よりも質の悪いフーテンである…。
親父殿や叔父はしっかりと仕事をしていた。仕事をして、しっかりと稼いで家族を養いつつ、自分の好きな事をしていたのだ。最低限の義務を果たしていたわけだ。その証拠に、私は一度たりとも食事を抜かれた事がないし、学校で必要な物が買えなかったり、給食費を滞納した事はない。

私は今、『しょうもないフーテン』である。
体調を理由に仕事をしていなのに、競輪や競馬をしている。
一応、家賃や光熱費などは滞納無く支払っているが、それも貯金を取り崩してやっているだけで今後の事をなるべく長期で考えないようにしているから出来る事である。貯金が底をついた時、医者の想定よりも長く生きてしまったらどうするのかという事を全く考えていないのだ。こういう自分に都合の良い事だけは『お医者様の言う事に間違いはない!』と因果を丸投げしてしまっているのだ…。

でも、しょうがないのだ。
これが『フーテン』の正しい進むべき道なのだと親父殿が言っているのだから。
私が親父殿から受け継いだものが、親父殿が残していったモノの処理をしてくれるタイマーなのだと、なんとなく納得している今日この頃なのだ。

なんてな


グダグダと長文書いていたけど、正直に言えば、
『最近、競輪や競馬の運がないのも親父殿からの遺伝じゃないのか…?』
なんていう、『確率論を無視した運命論』みたいな事を考えちゃったので、日記のネタにしてみました。

えーと、確率論で語れない物って結構あると思う。
期待値とか効果値とか色々考えないで、純粋に確率論で考えちゃうと『あれ?』と思うような事が沢山ある。(個人的に)
計算式で叩き出せない物に計算式(方程式)を求めるのが山師(ギャンブラー)の常であり、勘だけでは張りたくない賭事好きは皆、陥る罠だと思う。

それにずっぽりとはまっております…。

ただいま、競輪競馬で11連敗中でございます…。
もうそろそろ余裕もなくなり、真剣に焦ってきたりして…。(汗)

運命論とかでストレスを逃してやろうかと画策したのですが、どうにも脳味噌が納得してくれないようなのですよ。私の精神は貧弱なのに、前頭葉連合野は何故か頑固一徹でございます…。
その頑固一徹さんを納得させるべく、私は最終手段を執りました。

運命に賭けました。
今日、ちょうど競輪のG3を和歌山でやっていたので、その10Rに適当に並べたトランプを引いて出た数字を組み合わせて投票してみたのです。もちろん、くだらないけど誠心誠意祈りを込めてトランプを引いてみたのです。

で、資金の都合上で組み合わせは11通り。
賭けたのが、2,7-1,2,7-1,3,7,9の11通り。

これで当たれば運命論者、外れれば非運命論者となる予定です。(ご都合主義…)
正直言って、当たって欲しいけど、当たらないで欲しい…。

ついでに、もう一つ…


大人気ない事書いておこう。大人気ないというか、年齢不相応というか…。

今期、アニメが不作すぎじゃないか?
去年までは『Working!!』とか『はがない』とか『ベントー』とかそれなりに楽しめたけど、今期は偽物語と夏目ぐらいしか見る物が無くなってしまった…。(銀は定番で除く)
やる事無い『フーテン』にとっての“豚アニ”じゃない“良アニ”って、大事な生活サイクルに組み込まれているものなのだ。それで週のサイクルを作り出していると言っても過言じゃないくらいの。(情けない…)

ああ、今日は月曜日だからあのアニメがあるな
とか、
ああ、このアニメが載ってるならば、今日は木曜日なんだな
とかなるわけだ。(更に情けない…)

偽物語もちょっと期待したよりは…、だったような。けれども、やはり他の物よりは視聴しやすく、“豚アニ”に劣化しない事を祈りつつ、夏目と共に楽しませて頂くことにした。

なんていう本当に大人気ない感想や愚痴でしめて終わる日記、いつまで書き続けられるか自分でも不安である…。
私が消去された後も残るのだろうなと想像すると、ちょっとだけ我が愛機PCの特定フォルダと共に消去したくなる今日この頃です。

2012年1月8日日曜日

ぽてち

物の価値というものは、需要と供給によって成立している場合と、個人の思い入れだけで決定している物がある。
その物の価値が適正であるか否かは、消費する側が判断し、適せいてなければそれを断固として拒否するぐらいの姿勢が大切であると思う。

のだが、
経済的社会の中でならばそれなりの力を持つ消費側であるが、ある限られたパワーバランスをもった狭い地域限定となると話は違うのだ…。消費する側が圧倒的な不利を被らなければならないのだ…。

価格100倍


今日、夕食を簡単にすませ、自室でPCを叩いていた。
明日は競馬がある。明日のシンザン記念に投票するため、ネットで競馬新聞を見ていた。
PCに競馬新聞を読み上げさせ、自分は簡単なメモを取りながら投票する馬を決めていた。
オリービン、トウケイヘイローなんとかかんとかと読み上げるPCの無機質な声を聞きながら、必死に頭の中で馬が走る姿を想像し、勝手に妄想をふくらませながら『取らぬ狸の皮算用』ならぬ『取らぬ馬の万馬券』を夢見ながらオッズと過去走履歴を往復していた。

人間って、物を考える時、口って暇になるんだよね…。

口寂しさというか、いつもならばくわえ煙草でPCを弄ぶのだが、残念ながら今日は煙草の懺数が少なかった。新年になって外出したのは1度きりである。知人のガキンチョにお年玉をぶち投げに言った時くらいなのだ。年末に購入した買い置きの煙草が切れ、明日の買い出しまで残り僅かな本数でやり過ごさねばならないのだ。
考え事紙ながら煙草を吸うのは、煙草にとっても、喫煙者にとっても、利のない行動なのだ。考え事している間、煙草はただくすぶり続け、杯に吸引されるニコチン量は通常の5分の1もないだろう。その為、考え事紙ながらの煙草の消費は5倍に増える。1本22円の煙草が、5本吸えば4本は無駄になるという勘定だ。
経済的に不安定な私。これは避けなければならない。煙草を吸いながら競馬の予想をするのは、パチスロしながら煙草を吸う行為以上に無駄が重なりすぎるのだ。

煙草の代わりに口寂しさを紛らわせる物が欲しい…。
そう思いながら、キッチンへコーヒーをいれに行った。
その時、いつもならば絶対に視野に入らない妹君専用保存食棚にポテトチップの赤い袋がはいっているのが見えてしまったのだ。

我家では、『己の食料は己で調達』という、野生の狼にも劣る個別主義的な掟がある。家族愛とか、値の繋がりとかは『食料と財布の中の金』に限って言えばないのだ。そう、はぐれ狼がたまたま同じ屋根の下で暮らしていると言うだけの関係なのだ…。したがって、各人各々の食料保管場所と言うのが存在し、他者はそれを犯す事は許されないのだ。

私は掟を破って妹君のポテチを自室へと持ち帰ってしまった。そう、軽い気持ちであった。『怒られたら金を払えばいいや…。ちょっとぐらい割高でも買いに行くよりは…。』と。

はぐれ狼の掟はそんなに生優しい物ではなかったのだ…。
とくに雌のはぐれ狼であろう妹君…。猛烈に怒り狂った。どうせ置いておくだけで食べる予定もなかったであろうものを、いかにも今日、そして今、すぐにでも必要不可欠な物のように設定して私を責めまくるのだ。

非はこちらにある。なにも言い返せない。相手の言いなりである。
弁済するという申し出に対し、妹君の提示した示談金は、福沢諭吉先生1人であった…。

カルビーのカスタマーセンターに電話しても解決しない問題ではあるが、なぜか無性にカルビーに対して怒りがこみあげてきた。
昔、走大昔にCMであったのだが、
100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません。あしからず
というフレーズのCMがね…。

私の妹君は、『ポテトチップで1万円を買った』のである。
私の財布は風邪をひいた。
これで明日のシンザン記念までハズレたらと思うと、なんであんな時間に競馬予想なんてしたんだろうと今年1年ぐらいは悩む事だろう…。

2012年1月7日土曜日

愚行

まったく愚かな行為というものは、質の悪いものである。
頭の中ではいけないと思っていても、身体の方は自然と行ってしまう。

愚行…。

行った後、行為を後悔するだけではなく、自分自身を罵りたくなる行為である。

おもいつき


何もしてなかった。朝から何も考えず、ただPCで動画を見ていた。
それがたった1通のメールを見てしまったために損をしてしまった。

立川競輪でG3を開催中だった。そのお知らせメールを見たとたん、どうしてもやりたくなった。
動画を見ながら、別のタブで競輪サイトを開き、なんの情報もなしに7~11Rに投票した。合計2000円。
結果、総ハズレだった。まぁ、仕方がないだろうなぁ。ただ『投票したい』という気持ちだけで賭けてしまったのだから。

明日から今日の負けを取り戻すため、ちょっとだけ真面目に投票してやろうと思っている。
これも『愚行』にならなければ良いなと、微かな不安が頭の隅を横切るが気のせいという事にしておこう。

2012年1月6日金曜日

注意報

正月ボケはしていないが、何かが心に引っかかっているような嫌な感じである。
こういう気分の時って、何をやっても上手く行かないもんだ。

趣味ではない、決して…


暇にまかせてPCで動画を見まくっている。
食わず嫌いで見てなかった物や、某サイトで見つけた懐かし動画をほぼ1日中見ている。

どうせ起きていられないくらい怠いのだから、起きあがっても仕方がないと自己弁解しながらね…。

それで現在見ているのが、
きんぎょ注意報
だったりする。

べつに趣味てはない。決して趣味ではない。そう、決してだ…。
でも、面白いかもしれない…。
現在、19話目である。
これで私の正月は終わるのだ。

2012年1月4日水曜日

まぎらわす

止まんねぇ…。いい加減にしろやぁ…。

太鼓様の音を耳下から聴きながら、とっても苛々しております。

デュラララ!


苛々を紛らわすために、アニメの連続視聴開始!
ブラウザのブックマーク整理を兼ねて、見てなかったリンクを順にたどっていく。
最初は『すもももももも~最強のヨメ』なるものを視聴開始。これ、絵柄的に『微妙…』だったので、知人からの『おもしろいからさ!』の言葉を聞き流してブックマークの肥やしにしていた。

さすがに連続で全てを見るような気分でなかったので、現在、12話まで流し見中なり。
結構面白い。だから、視聴継続決定。
つづいて見始めたのが、『デュラララ!!』というやつ。これも『なかなか理論的にも伏線的にも良い感じだから!』というマルチ商法の勧誘文句のような推薦文を流し、ブックマークへ…。

これ、以前見た『バッカーノ』というアニメに関係しているらしい。その『バッカーノ』は個人的に好みだったので期待して視聴開始。
面白いじゃないか!?
うん、食わず嫌いは良くないね。うん。

これで5日の競馬開始までの暇つぶしを確保出来たようだ。

苛々は消えなかったけどな…。

無学習

人間は、日々成長しているのである。
なぜならば、何をしていても時間は経過し、時間の経過は何であれ変化させるのだから。
変化は学習であり、学習は成長につながっていくから。
ただ問題なのが、
その変化が成長と呼べるかどうか?
が疑問ではあるけど…。

怒られても怒られても忘れる


人間は嫌な事を回避しようとする本能をもっている。
回避にも色々ある。その嫌な物を遠ざけるのも回避であるし、その嫌な物を克服するのも回避だろう。そして、物嫌な物を『嫌な物』と認識しないようにするのも回避になるだろう。

新年早々であるが、怒鳴ってしまった…。
いや、怒鳴ったつもりはなかったのだが、客観的に見れば怒鳴っていただろうなと思う。

階下の糞ガキンチョを。

まったく何度お願いしても、何度注意しても、何度怒っても、まったく変化がないのだ。毎日毎日、壁を叩いてドラムのまねごとし、毎日毎日大音量でピコピコビュンビュンとゲームをし、毎日毎日玄関ドアを蹴って開け閉めし、毎日毎日板張りの床を裸足で走りまわって、毎日毎日兄妹喧嘩をして強烈な悲鳴をあげ続けていた。

そう、去年の暮れから年を越して今日まで毎日である…。

まぁ、私も大人だからさ、『まぁ、正月だからしかたないよね。正月くらいならば…。』と思っていたわけなのだけど。それも限度があるわけですな、人間の許容量にはさ…。

ガキンチョを怒鳴ってしまってから4時間が経過した。現在時刻、22:40。

走り待っておりますよ…。大騒ぎしておりますよ…。壁叩いて、雄叫びあけてますよ…。

強烈に『日本の将来が心配である!』と叫びたい衝動にかられる新年3日目でした。

2012年1月3日火曜日

初夢

初夢って、31日の夜に見た夢なのか、1日の夜に見た夢なのか、正式に定義して欲しいな…。
個人的には1日の夜に見た夢というほうを支持しているのだけど。

夢と現実


まぁ、初夢が良かったとしても、決して現実世界で良い結果が待っているとは思えないんだけどね…。夢はあくまでも夢なんだしね…。

今年の初夢、はっきり覚えているけど、言いたくないくらいにくだらない夢だった…。

どうせならばエロエロな夢でも見れれば良かったのに…。

正月なのか…?


まったく正月という感じがしない…。
テレビ番組がつまらなく、新聞が配達されず、年賀状がポストに入っていたり、親戚知人のガキンチョがお年玉をよこせと我が砦に押し寄せた事以外で正月を感じないのだけど。
我家ではお節料理が廃止されて20年近くになる。親父殿がいなくなってから、お袋殿がお節料理を用意しなくなった。これは仕方がないのだが、元々、雑煮が食えない私にとって正月料理という物が無くなってしまった。

正月って何?

正月の意味を真剣に考えてしまった新年2日目であった。

2012年1月2日月曜日

あけ・おめ・こと・よろ・した・たぶ・たぶ…

新年なので、ちょとだけ仕様変更。
ただ、タイトルを付けるようにしただけなんだけどね…。

新年…


まったく、なぜに『新年を迎える』のが嬉しいのだろうか…?
新しい年を迎えるという事は、確実に『年齢』をひとつ増加させ、確実に『あの世へのカウントダウン』が一つカウントされたということなのに。
日頃、『いつまでも若くいたいわ~』なんて言ってるオバチャンも、『まだまだ若い者には負けん』と言っているオジチャンも、『今年は良い年になりますように~』なんて朗らかに笑いながら年明けを迎えている。不思議でならない…。

それから若いガキンチョと、大人になりきれないクソ夫婦もだ。
あれほど、『震災で苦しんでいる人がいるのに、自分たちだけが楽しむなんて赦せないっ!花見や行楽は自粛してよっ!』なんて言ってたヤツが、『わぁ~、来年はきっと良い年になるよ~!今年も宜しく~!』なんて、深夜までどんちゃん騒ぎしてやがるし…。もう震災の復興は終わったと思っているのだろうか…?

なんて言う感じで、とってもひねくれた私は、もちろん自室で年越ししました。
階下の馬鹿夫婦どもがどんちゃん騒ぎしているのを憎々しげに思いながら、PCで『とある魔術の禁書目録』1期~2期を通しで見続けてやりました。すっかり頭の中は不思議ちゃんモードとなっております…。
食わず嫌いで見てなかったけど、この手のアニメも面白い物だと、新春らしく新しいモノに目覚めた自分を誉めてやりたいと思っています。

あるこーる


私は昔、大酒飲みだった。
酒だったらイクラでものめたような気がする。
若年時から酒の強さは自慢だったし、他者にも認められていたとおもう。
これは祖父の血を引いたからだと思っている。私の父は一滴も酒を飲めなかった。だが、祖父は大酒飲みであり、小学生の私は祖父の家で祖父の晩酌の相手をさせられた事もあった。
私は大酒飲みではあったが、酒での失敗は殆ど無かったと思う。泥酔した事もなければ、酔って掃いた事もなかったように思う。いつも他者の後始末をしたり、介護したりする立場だったように思う。
ああ、過去に、遠い過去に一度だけ、酒を飲んで酔ってしまい、友達だった女性にいけない事をしてしまったという失敗はあったかもしれない…。多分、失敗は荒れ一度だけだと思う…。

そんな私だったが、がらりと変わってしまった…。
まったく酒を受け付けなくなってしまったのだ。そう、腎臓をやられてからアルコールを一切止めていたのだが、昨晩、「今日は大晦日だから」とチューハイをコップ一杯ほど夕食時に呑んだ。

酔った…。気持ち悪くなった…。

チューハイなんて、『女子供の飲み物だっ!』と思っていた私だから余計にビックリして落ち込んだ。たったアルコール分4%の飲料をコップ一杯150ml呑んだだけなのに、顔が赤くなり、動悸息切れがし、横になりたくて仕方が無くなったのだ…。

人間、大病すると全く変わってしまうという事をしっかりと確認し、これからは過去の自分を捨てて新しい自分で生きていこうと、『とある魔術の禁書目録Ⅱ』を見ながらしみじみ感じたのだった。

今年はさ


年初から色々ありますね…。
オ○ムの人が出頭したり、地震があったり、テレビがメッチャクッチャにつまらなかったり…。

でも、どうやら2012年に人類が滅びるようなマヤ歴伝説は無いようですな。
だから、
今年もゆっくりと、マイペースで、生きられるまで生きていこう
と思っております。
どうぞ生暖かい目で見守ってやってください。