2012年1月8日日曜日

ぽてち

物の価値というものは、需要と供給によって成立している場合と、個人の思い入れだけで決定している物がある。
その物の価値が適正であるか否かは、消費する側が判断し、適せいてなければそれを断固として拒否するぐらいの姿勢が大切であると思う。

のだが、
経済的社会の中でならばそれなりの力を持つ消費側であるが、ある限られたパワーバランスをもった狭い地域限定となると話は違うのだ…。消費する側が圧倒的な不利を被らなければならないのだ…。

価格100倍


今日、夕食を簡単にすませ、自室でPCを叩いていた。
明日は競馬がある。明日のシンザン記念に投票するため、ネットで競馬新聞を見ていた。
PCに競馬新聞を読み上げさせ、自分は簡単なメモを取りながら投票する馬を決めていた。
オリービン、トウケイヘイローなんとかかんとかと読み上げるPCの無機質な声を聞きながら、必死に頭の中で馬が走る姿を想像し、勝手に妄想をふくらませながら『取らぬ狸の皮算用』ならぬ『取らぬ馬の万馬券』を夢見ながらオッズと過去走履歴を往復していた。

人間って、物を考える時、口って暇になるんだよね…。

口寂しさというか、いつもならばくわえ煙草でPCを弄ぶのだが、残念ながら今日は煙草の懺数が少なかった。新年になって外出したのは1度きりである。知人のガキンチョにお年玉をぶち投げに言った時くらいなのだ。年末に購入した買い置きの煙草が切れ、明日の買い出しまで残り僅かな本数でやり過ごさねばならないのだ。
考え事紙ながら煙草を吸うのは、煙草にとっても、喫煙者にとっても、利のない行動なのだ。考え事している間、煙草はただくすぶり続け、杯に吸引されるニコチン量は通常の5分の1もないだろう。その為、考え事紙ながらの煙草の消費は5倍に増える。1本22円の煙草が、5本吸えば4本は無駄になるという勘定だ。
経済的に不安定な私。これは避けなければならない。煙草を吸いながら競馬の予想をするのは、パチスロしながら煙草を吸う行為以上に無駄が重なりすぎるのだ。

煙草の代わりに口寂しさを紛らわせる物が欲しい…。
そう思いながら、キッチンへコーヒーをいれに行った。
その時、いつもならば絶対に視野に入らない妹君専用保存食棚にポテトチップの赤い袋がはいっているのが見えてしまったのだ。

我家では、『己の食料は己で調達』という、野生の狼にも劣る個別主義的な掟がある。家族愛とか、値の繋がりとかは『食料と財布の中の金』に限って言えばないのだ。そう、はぐれ狼がたまたま同じ屋根の下で暮らしていると言うだけの関係なのだ…。したがって、各人各々の食料保管場所と言うのが存在し、他者はそれを犯す事は許されないのだ。

私は掟を破って妹君のポテチを自室へと持ち帰ってしまった。そう、軽い気持ちであった。『怒られたら金を払えばいいや…。ちょっとぐらい割高でも買いに行くよりは…。』と。

はぐれ狼の掟はそんなに生優しい物ではなかったのだ…。
とくに雌のはぐれ狼であろう妹君…。猛烈に怒り狂った。どうせ置いておくだけで食べる予定もなかったであろうものを、いかにも今日、そして今、すぐにでも必要不可欠な物のように設定して私を責めまくるのだ。

非はこちらにある。なにも言い返せない。相手の言いなりである。
弁済するという申し出に対し、妹君の提示した示談金は、福沢諭吉先生1人であった…。

カルビーのカスタマーセンターに電話しても解決しない問題ではあるが、なぜか無性にカルビーに対して怒りがこみあげてきた。
昔、走大昔にCMであったのだが、
100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません。あしからず
というフレーズのCMがね…。

私の妹君は、『ポテトチップで1万円を買った』のである。
私の財布は風邪をひいた。
これで明日のシンザン記念までハズレたらと思うと、なんであんな時間に競馬予想なんてしたんだろうと今年1年ぐらいは悩む事だろう…。

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