2010年9月24日金曜日

鶏頭

さて、“鶏頭”と言う言葉で検索をかけてみた。
ああ、華の名前が一番先に来ますな。読みは“ケイトウ”となってますな。

私、“鶏頭”と書いて“トリアタマ”と読ませてた。
正確には、“鳥頭”と書くべきだったわけですな…。

とりあたま。そう、物事をすぐに忘れ、三歩歩けば全て忘れるという侮蔑の言葉。
“三歩歩いて”が頭の中にあり、ついつい“トリ”を“鶏”と思ってしまったわけだ。鶏、頭悪そうだし…。

「このトリアタマ野郎!」
と、若き青年の頃に後輩を怒鳴り散らしたりしてましたな…。その前は、先輩に同様の言葉で怒鳴られていましたが。

“トリアタマ”と同じ様な意味で使っていたのが、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる”ってやつですが、これはある程度、『まぁ、しかたないな。人間だものな。忘れるよな。これを忘れずに、次は気をつけないとダメだぞ?』みたいなかんじでつかってたが、実際はどうなのだろうか?

喉元過ぎれば熱さを忘れる

なんだかちょっと意味合いが違うようだな…。
こんなふうに、思いこみや勉強不足で間違う事は誰に出もあると思う。いや、あってほしい。


私は『トリアタマ』になりたいと思っている。いや、どちらかというと『喉元過ぎれば熱さを忘れる』を実戦したいと思っている。


ちょっと苦しいのだ...。色々と。
ヘタな考え休むに似たりで、頭だけがグルグルと駆け回り、身体がついて行けない。
私は明日からトリアタマになる。髭を生やしたトリアタマだ。

ハンドルネーム、変えようかな?髭鳥頭に。


追記 2010:09-25 10:11
昨日の夜は錯乱状態になっていたようです。
何故、鳥頭になるなどと言い出したかというと、大事な要件をすっかり忘れていたのです。その為、多大なる損失と、知人からの軽蔑の言葉をいただいたわけです。
べつに多大なる損失と言っても自殺するほどではないし、知人から軽蔑されたところで反省して出家するような案件でもないと言う事にきがついたわけです。
人間、一つの物事に集中して頭を使うと、狭い世界の中に陥ってしまい、日常の摂理やら習慣やらをすっかり頭から追い出してしまうようです。それで悩みの螺旋地獄へ陥るということが今朝方判明しました。(自己分析)
『喉元過ぎれば熱さを忘れる』の本来の意味で、『苦しさも時が経つと忘れる』的に考えようと思ったわけです。
すっかり回復致しました。

気分的には凄く悪いけど…。(苦笑)

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